歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

フィレンツェ芸術巡り⑥【ウフィツィ美術館】

イタリア・フィレンツェの旅行記です。

 

ウフィツィ美術館

ヴェッキオ宮殿からわずか2分。元々はコジモ一世が「行政機関」としてジョルジョ・ヴァザーリにつくらせたものです。元々は市内各所に分散していた行政組織を集中させる目的がありました。フィレンツェ版霞ヶ関ですかね。ウフィツィとは「オフィス」の意味です。

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のちに、コジモの息子のフランチェスコ一世がブオンタレンティに命じて、メディチ家所有の美術作品を収めるギャラリーを設置しました。それが今日の世界的美術館の元となったわけです。

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ウフィツィ美術館は、コの字型をしています。円柱はピエトラ・セレーナという青灰色の石材で造られています。

 

天才芸術家たちがお出迎えしてくれます。

ジョット。ルネッサンスの先駆けとなり、西洋近代絵画の扉を開いた人物です。

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ドナテッロ。一般的な知名度は劣りますが、ミケランジェロ、ベルニーニと並ぶ、イタリアの大彫刻家です。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ。言わずと知れた万能の天才。

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ミケランジェロ。言わずと知れた「神の如き」芸術家。

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この後、セキュリティチェックして入場です。

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これがチケットです。ウフィツィの顔はフィリッポ・リッピの聖母ですか。

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ヴァザーリの回廊が見えます。君主家族が警護無しで移動できる利便性がありました。

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さあ、いよいよ鑑賞していきます。

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廊下も彫刻・絵画・天井画と見どころありすぎです。f:id:mejirorock:20211122132217j:plain

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天井画のグロテスク模様は、フランチェスコ一世の趣味か。フランチェスコ一世はヴェッキオの秘密の書斎で分かるような妖しさを好みました。

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ジョット・ディ・ボンドーネ「オンニサンッティの聖母」

ルネッサンスの先駆者ジョットの1306〜10年頃の作品から。

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それまでのビザンチン=ロマネスク様式の絵画は、平面的に(例えば服のひだなどは直線で)描くものでしたが、ジョットは立体的に、陰影をつけ、ボリューム感を出して行ったのです。

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人物の目力がすごい。赤子ですら怖い顔してる。

 

ピエロ・デッラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」

1465年〜1472年頃の作品です。

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モデルのウルビーノ公モンテフェルトロは、傭兵将軍で無敵を誇った人物。当時のイタリアの都市国家は常備軍を持たず、戦争の時は傭兵集団を雇い入れていました。この人がなんで横向いているかというと、若い頃の槍試合で反対側の目が潰れてしまったからだそうです。

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その奥さんも対になって描かれています。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカは20世紀になって、再評価が進み、現在では初期ルネッサンスの巨匠という扱いになっています。

 

パオロ・ウッチェッロ「サン・ロマーノの戦い」

1450~60年頃の作品です。

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フィレンツェ軍とシエナ軍の間で行われた1432年の戦いを描いています。この作品は三部作になっており、ウフィツィ以外では、ルーブル美術館とロンドン・ナショナルギャリーに所蔵されています。

ウッチェッロは、遠近法にとりつかれた画家でした。一番有名なエピソードは、夜遅くまで遠近法の研究に没頭しているもので、奥さんに「もう寝たら?」と言われたところ、「ああ、遠近法。お前はなんて可愛いんだ」と答えたものです。

 

フィリッポ・リッピ「聖母子と二人の天使」

1450〜1465年頃の作品と推定されます。

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ベールの透明感と物憂げな聖母が特色です。幼きキリストを拝んでいます。モデルは妻となったルクレツィアと言われています。

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フィリッポ・リッピとぺッセッリーノ「聖母子と聖人たち」

1440〜1445年頃の作品と推定されます。

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リッピは修道士でしたが、女好きのとんでもない生臭坊主でした。リッピのモデルになったルクレツィアも修道女だったから、本来なら許されぬ恋でした。今もフィレンツェの国立公文書館には、リッピを告発する文書が保存されています。

 

フィリッポ・リッピ「聖母戴冠」

1441〜1447年頃の作品と推定されます。

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この物憂げな美貌がリッピの真骨頂です。リッピはボッティチェリの師匠ですね。後にリッピの遺児フィリッピーノが、ボッティチェリに弟子入りし、画家となっています。

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頬杖ついてこっち向いてるのがリッピ本人ですね。西洋絵画のお約束で、自画像を描くときはカメラ目線になるという。

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さて次は何やら美女画が並んでおりますが。

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この下の一番左の絵が、若き日のボッティチェリの作品だそうです。

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サンドロ・ボッティチェリ「剛毅」

1470年の作品です。

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この作品で認められた25歳のボッティチェリは、すぐに人気作家になっていきます。

 

サンドロ・ボッティチェリ「受胎告知」

1481年頃の作品です。

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受胎告知は好んで取り上げられる人気のテーマです。

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サンドロ・ボッティチェリ「栄光の聖母」

1470年頃の作品です。

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サンドロ・ボッティチェリ「東方三博士の礼拝」

1475年頃の作品です。

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聖母を囲む賢者たちは、依頼主のメディチ家の人々をモデルとしています。一番右端のカメラ目線がボッティチェリ本人です。

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聖母子の前に跪くのは老コジモ。メディチ家隆盛の中興の祖です。

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赤マントの男は老コジモの息子・「痛風病みのピエロ」です。

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そしてこれがピエロの息子・ロレンツォ豪華王。メディチ家の黄金時代を築きました。
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■サンドロ・ボッティチェリ
(Sandro Botticelli, 1445年〜1510年)ルネサンス期のイタリアのフィレンツェ生まれの画家。フィリッポ・リッピの元で学び、メディチ家の保護を受け、宗教画、神話画などの傑作を残した。ギリシャ文化に純粋に傾倒したと見られる『春』『ヴィーナスの誕生』を描いた。1492年、メディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチの死後、ドメニコ会の修道士サヴォナローラがフィレンツェの腐敗を批判し、市政への影響力を強めた。そのためボッティチェッリも神秘主義的な宗教画を描くようになる。その後400年にわたり忘れ去られてしまい、やっと受け入れられるようになったのは19世紀末だった。

 

サンドロ・ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」

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1482年に描かれた、ルネッサンスの代名詞とも言える作品です。ヴィーナスを中心に、春の到来をことほぐ神々の姿を描いた、という解釈が一般的でしょうか。

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ただボッティチェリは晩年は不遇で、没後は忘れられた存在になっていました。これほどの作品がメディチ家の部屋で、400年近く放置プレイされていたのです。19世紀になって再発見され、1980年代に大修復が行われ、現在の美しさを取り戻しました。

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足元の植物は粗悪なニスで茶褐色に変色していましたが、修復後は美しく蘇りました。500もの種類の植物は、フィレンツェ近郊に今も実在するものを正確に写したものでした。

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サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナス誕生」

1485年の作品です。まさかこの絵を本当に見られる日が来るとは。

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ギリシア神話の女神ヴィーナス(アプロディーテー)が、成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様を描いています。

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「春」と並んで、古代以来初めての異教神話画が描かれた背景には、当時フィレンツェで高まっていた新プラトン主義の影響がうかがえます。ボッティチェリも、ロレンツォ豪華王の主催する知識人アカデミーの一員だったのです。

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女神のモデルは、フィレンツェ一の美女と謳われたシモネッタ・ヴェスプッチでした。シモネッタはこの作品が描かれる数年前に早逝していますが、ボッティチェリはその面影を忘れることが出来なかったのかもしれません。

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なんと目が不自由な人のための立体版?までが!

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サンドロ・ボッティチェリ「パラスとケンタウロス」

1482年〜1483年に描かれた作品です。

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この作品も「春」と同じ部屋で放置されていました。理性を表すパラス(女神ミネルヴァ)が本能のままに行動するケンタウロスを戒める、というテーマとされます。

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サンドロ・ボッティチェリ「マニフィカトの聖母」

1483年〜1485年に描かれた作品です。円形(トンド)形式の作品。

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天使が聖母子を祝福します。

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この書物に「マニフィカト(聖母を讃える歌)」が書かれています。

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サンドロ・ボッティチェリ「ザクロの聖母」

1487年に描かれた作品です。これもボッティチェリのトンドの代表作です。

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物憂げな聖母は定番の表情ですが、周りの天使たちも優美で、中性的な魅力に充ちています。女でもゴツい男にしてしまうミケランジェロと対照的です。

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幼きキリストが持つザクロは「復活」の象徴とされます。

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サンドロ・ボッティチェリ「聖母子」

1466年〜1467年に描かれた作品です。

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サンドロ・ボッティチェリ「受胎告知」

1489年〜1490年に描かれた作品です。

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サンドロ・ボッティチェリ「聖母子と諸聖人」

1487年〜1488年に描かれた作品です。

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サンドロ・ボッティチェリ「メダルを持つ若い男の肖像」

1475年に描かれた作品です。

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サンドロ・ボッティチェリ「聖母戴冠と四聖人」

1489年〜1490年に描かれた作品です。

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サヴォナローラの神権政治が始まると、ボッティチェリはもろに影響を受け、それまでの生命感溢れる画風は消え、神秘主義的な作品を描くようになります。サヴォナローラの扇動に乗って、かつての自作を焼き捨てたとも言われます。(虚栄の焼却)

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ボッティチェリは晩年、筆を折り、杖をついて徘徊する惨めな最後を過ごしたそうです。

 

ドメニコ・ギルランダイオ「聖母子と天使たち」

1486年に描かれた作品です。

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フランチェスコ・ボッティチーニ「三大天使とトビオーロ」

1470〜1475年に描かれた作品です。

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「トリブーナの間」

このすごい装飾の部屋は「トリブーナの間」と言われます。

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16世紀後半、コジモ一世の息子・フランチェスコ一世がブオンタレンティに命じて、造り上げた部屋です。

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円蓋は無数の真珠母、床は色大理石の特別陳列室です。

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修復中だったのでしょうか、入室はできず外から見るだけでした。

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真ん中に見えるのが「メディチのビーナス」です。

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紀元前1世紀頃のヘレニズム時代の作品。恥じらいのヴィーナスの定型となったんですね。ちょっと遠かったんでぼやけてしまって残念でした。

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ボッティチェリのヴィーナスも同じポーズしてますね。ただしこのヴィーナス像がローマで発見され、メディチ家のコレクションになったのはボッティチェリの時代から100年後なので見ていないはずです。

 

ウフィツィ美術館がコの字型っていうのがよくわかりますね。

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なんという痛そうな彫刻だ。

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ヴェッキオ橋とアルノ川が見えますね。

 

アンドレア・デル・ヴェロッキオ「キリストの洗礼」

1472〜1475年ごろの作品です。

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ヴェロッキオはレオナルド・ダ・ヴィンチの師匠ですが、この天使と背景の一部はダ・ヴィンチが描いているそうです。ヴェロッキオはダ・ヴィンチの絵を見て、完全に自分を超えていると感じ、以後は彫刻に専念したという伝説があります。風景もダ・ヴィンチっぽいね。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」

1472〜1475年ごろの作品です。

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聖母の美しさ、書見台の細かな描写など、さすがですね。

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大天使ガブリエルがマリアに処女懐胎を伝えにくる場面。あらゆる画家がテーマとした場面です。

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この作品がレオナルドの真筆である確かな証拠は、何一つ見つかってないそうなんですが、類を見ない作品のクオリティから疑う者はいないそうです。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ「マギの礼拝」

1481〜1482年ごろの作品です。

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ラファエロ・サンティ「小鳥の聖母(ひわの聖母)」

1506年ごろの作品です。

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この三角形の画面構成力を、ダ・ヴィンチから学んでいるそうです。

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ミケランジェロ・ブオナローティ「聖家族」

1507年ごろの作品です。

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ミケランジェロが描くと絵画も立体的になりますねえ。飛び出してきそうです。さすが本業は彫刻家です。背景の裸体群像は、異教徒たちという説もあります。

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ラファエロ・サンティ「アーニョロ・ドーニの肖像」

1506年〜1507年ごろの作品です。

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これ上と下が夫婦です。ラファエロ唯一の夫婦肖像画。このドーニ夫妻は一つ前のミケランジェロの「ドーニのトンド」を注文した裕福な羊毛商です。

 

ラファエロ・サンティ「マッダレーナ・ドーニの肖像」

1506年〜1507年ごろの作品です。

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こっちが嫁ですね。この目つきがいいね。意地悪なモナリザっていう感じです。生粋のフィレンツェ人は怜悧で眼光が鋭い人が多いそうです。観光でちょっと行ったぐらいではよく分からなかったけど。

この女性は大銀行家の娘らしく、羊毛商と金融業という、これまたフィレンツェらしいカップルなのです。この夫婦肖像はピッティ宮殿にあるはずなのですが、なぜかウフィツィ美術館にありました。

 

テラスがありました。ここで一休みできます。この下の階にはトイレもあります。

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ヴェッキオ宮殿が間近に見えますね。

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この突っ立てるおっさんの像は何の意味があるんですかね?

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幸せの仔豚のオリジナルがあった。ここからは彫刻作品を見ていきたいと思います。

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バッチョ・バンディネッリ「ラオコーン(模刻)」

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本物のラオコーンはもちろんヴァチカンに。で、2018年の「ミケランジェロ展」で来日したものとは違うようです。

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廊下の彫刻は、古代彫刻も多いのですが、欠損部分をルネサンス期以降に修復したものがけっこうあるそうです。

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バルトロメオ・アンマナーティ「Marte gradivo」

1559年の作品です。正面写真が痛恨のピンボケです。

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「ヘラクレス」(2世紀)

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ヤコポ・デル・ドゥーカ「シレーノと若きバッカス」

1571年〜1574年頃の作品です。

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古代彫刻とルネッサンス彫刻が混在してもほとんど違和感ないですね。

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「楽器を奏でるアポロ」(2世紀初め)

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「アフロディーテ」(1世紀)

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「足の棘を抜く少年」(1世紀)

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「トルソ」(1世紀)

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ウフィツィ美術館は3階から古い順に展示されています。この後は下の階に移動して、盛期ルネサンス以降の作品を鑑賞していきます。

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ロッソ・フィオレンティーノ「聖母子と四聖人」

1518年の作品です。

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ここからはルネッサンスの影響を受けながら、新しい展開を見せる作品群です。マニエリスムに分類される画家たちの作品です。フィオレンティーノのこの作品は、発表当初はあまり評判が良くなかったそうですね。発注者から受け取りを拒否されたそうです。四聖人があまりにみすぼらしいとか、聖母も厚化粧な感じがするとか。

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ヤコポ・ダ・ポントルモ「聖母子と幼児ヨハネ」

1529年の作品です。

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この聖母の不安げな顔!来るべきイエスの受難を恐れる表情が表れています。ヴァザーリによると、ポントルモは孤独な人物で、極度に死を恐れる人物であったそうです。

 

アーニョロ・ブロンズィーノ「エレオノラ・ディ・トレドと子息ジョバンニの肖像」

1545年頃の作品です。

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病弱で、肺病により若死にすることになるエレオノラ公妃の公式肖像画。コジモ一世の正妻です。元はスペイン貴族の娘で気位が高く、夫以外には冷たい面をみせた人物だそうです。

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お気に入りだったブロンズィーノが、彼女の冷たい美を永遠のものとして描き出しました。

 

アーニョロ・ブロンズィーノ「コジモ・デ・メディチ1世」

1543年〜1546年頃の作品です。

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旦那の方ももちろん描いています。初代トスカーナ大公で、現在のフィレンツェの都市計画の基礎を固めた偉大な人物です。ただし晩年は半身不随になり、不遇であったとか。

 

アーニョロ・ブロンズィーノ「ルクレツィア・パンチャティキの肖像」

1540年〜1541年頃の作品です。

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フィレンツェ の政治家・バルトロメオ・パンチャティキの妻です。エレオノラ大公妃もそうですが、なぜか冷たい表情ですね。

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パルミジャニーノ「長い首の聖母」

1535年頃の作品です。

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マニエリスムを代表する傑作1枚です。極端な遠近法や、引き伸ばされたりねじれたりする人体描写など。伸び切った子どもの身体はすごいですね。死体かな笑

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「フローラ」

1515年〜1520年の作品です。

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ヴェネツィア派最大の巨匠・ティツィアーノの代表的単身像。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖マルゲリータ」

1565年〜70年頃の作品です。

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17世紀のフェルディナント二世統治の時代に、ヴェネツィア派の作品の多くが収集されました。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ウルビーノのヴィーナス」

1538年の作品です。

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師匠ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」を補完完成させた25年後に、決定的な裸婦像を完成させました。後世の裸婦像の定型となる、永遠の女性美を創り出したと言えるでしょう。

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この傑作は17世紀に、メディチ家のフェルディナント二世とヴィットリアとの婚姻の際に、ヴィットリアの持参金代わりにフィレンツェにもたらされました。

 

ルーカス・クラーナハ(父)「ルター夫妻の肖像」

1529年の作品です。

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この顔はまさに教科書で見たルターの顔ですね!クラーナハはザクセンはヴィッテンベルクで活動していましたが、ヴィッテンベルク大で教鞭を取っていたマルティン・ルターとは友人でもありました。

 

ルーカス・クラーナハ(父)「アダムとイヴ」

1528年の作品です。ちょっと暗すぎた。撮影失敗です。

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クラーナハの官能美は独特の魅力がありますね。

 

アレッサンドロ・アローリ「ヴィーナスとキューピッド」

1570年の作品です。

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アンニーバレ・カラッチ「ヴィーナスとサテュロス、二人のキューピッド」

1588年の作品です。

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レーニの師匠のカラッチは、北イタリアのボローニャを中心に活躍し、初期バロック様式を確立しました。ふくよかな肉感が時代を表しています。

 

カラバッジョ「メデューサの首」

1597年の作品です。本物の楯に描いているのは迫力あってすごい!

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パラティーナにもウフィツィにもカラバッジョ作品が存在するのですが、これらはカラバッジョのローマでのパトロン・デルモンテ枢機卿からトスカーナ大公・フェルディナント一世(コジモ一世の息子でフランチェスコ一世の弟)に贈られたものではないかと思われます。

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カラバッジョ「バッカス」

1597年〜1598年の作品です。

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美少年と果物はカラバッジョの得意技。

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果物の描写もいいですねえ。カラバッジョはミラノでの修業時代、北方絵画の細密なタッチを身につけたといいます。

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カラバッジョ「イサクの犠牲」

1603年の作品です。

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神の意志に従い、自分の息子を殺そうとするイサクと、「やめてくれ〜〜」みたいな息子の表情から緊迫感が伝わってきます。

 

アルテミジア・ジェンテレスキ「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」

1620年頃の作品です。

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カラバッジョの影響を大きく受けた女流画家・ジェンテレィスキの作品ですが、まさに切ってる最中で血が噴き出してる!怖い。この暴力的な作風は、彼女の暗い過去(レイプ被害)に根ざしていると思われます。「絵による復讐」と言われました。

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レンブラント・ファン・レイン「自画像」

栄光と挫折を知った男の渋みが出てますね。

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ピーテル・パウル・ルーベンス「自画像」

一方、栄光に包まれっぱなしの男の自画像は余裕ある?1628年頃の作品です。

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ルーベンスはフランス王家に嫁いだマリー・ド・メディシスの連作(ルーヴル所蔵)を描くなど、メディチ家との繋がりはあります。マリー・ド・メディシスは、このウフィツィを美術館化したフランチェスコ一世の娘なのです。

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ピーテル・パウル・ルーベンス「ホロフェルネスの首を斬るユディット」

1626年〜1634年頃の作品です。

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優雅なルーベンス美女が、ぽいっと捨てるところが何かおかしくていいですね。このあっさり感はジェンティレスキとは全然違う。

 

ピーテル・パウル・ルーベンス「イサベッラ・ブラントの肖像」

1626年頃の作品です。

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彼女はルーベンスの最初の妻でしたが、ペストによりわずか34歳で早逝しています。

 

グイド・レーニ「ゴリアテの首をもつダヴィデ」

1605年頃の作品です。

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レーニはラファエロみたいなものもあれば、こういったカラバッジョみたいなものもありますね。

 

Mattias Stomer 「受胎告知」

1635年〜1640年頃の作品です。

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ちょっとしたショップもありました。この階下にはもっと大きなショップもありました。けど、そこで間違って「緊急出口」の扉を開けてしまって大サイレン鳴らしてしまい、全員の注目を浴びてしまったので、早々に退散(脱出)しました。

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外では成りきりアートの大道芸人のおっさんがいた!

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世界的名画をいっぱい見ることが出来ました!

 

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